2013-09-05
懐かしの「いつもの」メニュー~KALDEY~@横浜 戸部
どうしてもどうしても食べたいものがあったの。
わたしが新卒で入った会社でよくランチ行っていたお店。

戸部駅からは徒歩10分くらいかな。
地下鉄の高島町からもそれくらい。
ランドマークが目の前に見えるのに、古い街並みが残る『岩亀横丁』
ここを歩くとなんかホッとするのよね~。
わたしがどうしても食べたくなったものはこの岩亀横丁にあるこちらの喫茶店。

『KALDEY』
なんとも懐かしい。
中に入ると、ママさんともう一人の女性の姿。
お二人ともお変わりなく。髪型が変わったけど、当時と変わらない。
内装もそのまま。

お店に飾ってるある絵は時々変わってたの。
ここのご主人が描いたのかなぁ。ってわたしは勝手に想像していたけど。
ご主人はお隣でテーラーをされてる。
ここでワイシャツを作った人に聞くとなかなか仕立てがいいそうよ。

ランチはこんな感じ。
わたしは昔、ここによく通っていた頃
お気に入りのメニューがあって、同じものばっかり頼んでたのよね。

それは『ドリア』
それも特別なドリアを作ってもらってたの。
普通のドリアはピラフにホワイトソースをかけて焼いたものなんだけど
そのピラフをケチャップ味にしてもらうの。
それを『赤ドリア』っていつしか呼んでた。
で、カウンターに座って「いつもの」ってお願いすると
わたしの前には『赤ドリア』が出て来てたのよ~。
流石にもう何年も経ってるので「いつもの」はあり得ない(笑)
それに『赤ドリア』が通じるか不安だったので
「ドリアのご飯をケチャップ味にしてもらえますか?」とお願いすると
「大丈夫ですよ~」と。 良かった♪

ランチにはサラダと

スープがついてくる。
このサラダもスープも全く変わってないっ!! 嬉しい~
そしてこれが伝説(!?)のドリアよ~

『赤ドリア』760円
チーズの焼けるいい香り~

これにタバスコをたっぷりかけて食べるのだっ!!

ほら、ケチャップご飯♪
ホワイトソースとケチャップご飯がマッチして、まろやかで美味しいんだなぁ。
チーズはとろけるタイプではなくてパルメザンチーズ。
それがくどくなくてまたいいの。
熱々なので、上顎を毎回火傷しちゃうんだけど、これがたまらなく美味しい。
久々の味に大満足よ。
わたしが食べ終わるころ、お店に入って来たサラリーマン風の男性が
「赤ドリア大盛りで~」と言っていた!!
いつの間にか「赤ドリア」って裏メニューがメジャーになってるっ!?
やばい。書いてたらまた食べたくなったわ。
近くに勤めてた時はこれを週1で食べてたから。

ランチを頼むとコーヒー、紅茶はプラス200円。
アイスコーヒーにはホイップクリーム付。
これがまた嬉しいんだなぁ
何も変わっていなくてすごく嬉しかった♪
さて、ここでちょっと横浜の歴史のお勉強。
こちらおKALDEYのお隣には『岩亀稲荷』があるの。


昔、横浜公園のあたりには『岩亀楼』という遊廓がありました。
岩亀横丁は岩亀楼の遊女が、静養のため利用した寮があったところです。
この岩亀横丁にある『岩亀稲荷』には遊女の秘話が書かれているのです。
岩亀楼の遊女、「喜遊」。
「喜遊」は町医者の娘で尊皇攘夷の志が高かった父は捕縛され、江戸追放となってしまいます。
生活に困窮した末「異人客を取らない」という条件で、
横浜・『岩亀楼』に200両という破格値で身を売ることになりますが、
器量・心意気ともを兼ね備えた「喜遊」は「岩亀楼」一番の人気者に。
そんなに素晴らしい女性ならば是非会ってみたいものだと目をつけたペリー艦隊の軍人。
「喜遊」としては断固これを拒否。そこでこの軍人は幕府の役人を通し
「岩亀楼」の主人に「喜遊」がその軍人の相手をするようにと命じました。
しかし、どうしても外国人の相手をすることが嫌だった「喜遊」は、
「露をだに 厭う(いとう)倭の(やまとの)女郎花(おみなえし)ふるあめりかに袖は濡らさじ」
という辞世を残し、自らを懐剣で突くという武士の作法に習って自害を果たしました。
この「喜遊」の歌は、当時ある種の反米、嫌米感情を表す言説として瞬く間に世間に流布したといいます。
『岩亀楼』の灯篭は今でも横浜公園に残されています。


歴史を学ぶと街歩きがもっと楽しい。
横浜には『岩亀』という名前の料理屋さんも数件残ってますね。
遊郭の街。その名残は今も多少なりとも残っているのかも。
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わたしが新卒で入った会社でよくランチ行っていたお店。

戸部駅からは徒歩10分くらいかな。
地下鉄の高島町からもそれくらい。
ランドマークが目の前に見えるのに、古い街並みが残る『岩亀横丁』
ここを歩くとなんかホッとするのよね~。
わたしがどうしても食べたくなったものはこの岩亀横丁にあるこちらの喫茶店。

『KALDEY』
なんとも懐かしい。
中に入ると、ママさんともう一人の女性の姿。
お二人ともお変わりなく。髪型が変わったけど、当時と変わらない。
内装もそのまま。

お店に飾ってるある絵は時々変わってたの。
ここのご主人が描いたのかなぁ。ってわたしは勝手に想像していたけど。
ご主人はお隣でテーラーをされてる。
ここでワイシャツを作った人に聞くとなかなか仕立てがいいそうよ。

ランチはこんな感じ。
わたしは昔、ここによく通っていた頃
お気に入りのメニューがあって、同じものばっかり頼んでたのよね。

それは『ドリア』
それも特別なドリアを作ってもらってたの。
普通のドリアはピラフにホワイトソースをかけて焼いたものなんだけど
そのピラフをケチャップ味にしてもらうの。
それを『赤ドリア』っていつしか呼んでた。
で、カウンターに座って「いつもの」ってお願いすると
わたしの前には『赤ドリア』が出て来てたのよ~。
流石にもう何年も経ってるので「いつもの」はあり得ない(笑)
それに『赤ドリア』が通じるか不安だったので
「ドリアのご飯をケチャップ味にしてもらえますか?」とお願いすると
「大丈夫ですよ~」と。 良かった♪

ランチにはサラダと

スープがついてくる。
このサラダもスープも全く変わってないっ!! 嬉しい~
そしてこれが伝説(!?)のドリアよ~

『赤ドリア』760円
チーズの焼けるいい香り~

これにタバスコをたっぷりかけて食べるのだっ!!

ほら、ケチャップご飯♪
ホワイトソースとケチャップご飯がマッチして、まろやかで美味しいんだなぁ。
チーズはとろけるタイプではなくてパルメザンチーズ。
それがくどくなくてまたいいの。
熱々なので、上顎を毎回火傷しちゃうんだけど、これがたまらなく美味しい。
久々の味に大満足よ。
わたしが食べ終わるころ、お店に入って来たサラリーマン風の男性が
「赤ドリア大盛りで~」と言っていた!!
いつの間にか「赤ドリア」って裏メニューがメジャーになってるっ!?
やばい。書いてたらまた食べたくなったわ。
近くに勤めてた時はこれを週1で食べてたから。

ランチを頼むとコーヒー、紅茶はプラス200円。
アイスコーヒーにはホイップクリーム付。
これがまた嬉しいんだなぁ
何も変わっていなくてすごく嬉しかった♪
さて、ここでちょっと横浜の歴史のお勉強。
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昔、横浜公園のあたりには『岩亀楼』という遊廓がありました。
岩亀横丁は岩亀楼の遊女が、静養のため利用した寮があったところです。
この岩亀横丁にある『岩亀稲荷』には遊女の秘話が書かれているのです。
岩亀楼の遊女、「喜遊」。
「喜遊」は町医者の娘で尊皇攘夷の志が高かった父は捕縛され、江戸追放となってしまいます。
生活に困窮した末「異人客を取らない」という条件で、
横浜・『岩亀楼』に200両という破格値で身を売ることになりますが、
器量・心意気ともを兼ね備えた「喜遊」は「岩亀楼」一番の人気者に。
そんなに素晴らしい女性ならば是非会ってみたいものだと目をつけたペリー艦隊の軍人。
「喜遊」としては断固これを拒否。そこでこの軍人は幕府の役人を通し
「岩亀楼」の主人に「喜遊」がその軍人の相手をするようにと命じました。
しかし、どうしても外国人の相手をすることが嫌だった「喜遊」は、
「露をだに 厭う(いとう)倭の(やまとの)女郎花(おみなえし)ふるあめりかに袖は濡らさじ」
という辞世を残し、自らを懐剣で突くという武士の作法に習って自害を果たしました。
この「喜遊」の歌は、当時ある種の反米、嫌米感情を表す言説として瞬く間に世間に流布したといいます。
『岩亀楼』の灯篭は今でも横浜公園に残されています。


歴史を学ぶと街歩きがもっと楽しい。
横浜には『岩亀』という名前の料理屋さんも数件残ってますね。
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カルディ (喫茶店 / 高島町駅、戸部駅、みなとみらい駅)
昼総合点★★★☆☆ 3.5
テーマ : 横浜&川崎周辺のグルメ
ジャンル : グルメ